『釧路モカ女性プロジェクト』10周年に際して


【2011年5月23日】市民団体設立

 10年前の今日、釧路市の女性団体である『釧路モカ女性プロジェクト』が誕生しました。少し長くなってしまうかもしれませんが、10年間をここで振り返ってみたいと思います。

 本来であれば、10周年記念は少しだけ大きくイベントを行いたいものだなぁと個人的には思っていたのですが、この緊急事態宣言も出されているコロナ禍で、無理に人に集まってもらって何かやるというものどうかとの思いもあり、まずはこのブログで10年間の歩みを思いつくままに振り返ってみようと思い立ったわけです。

 この10年、何度となく(もう100回は超えているかも!?)本団体を興した目的と活動内容について報道関係や雑誌、ネット記事、行政、関係団体などからインタビューを受ける機会がありました。気が付けばその度に大きな目的は変わらないけれど、目標は変化したものをお伝えしてきたように思います。この間の10年の世の中の動きや価値観の変化って、少し長くなってきている私の人生の中でも一番の変化だったように感じています。


【2011年5月~2013年5月】設立からの2年間

 2011年3月11日(金)東日本大震災が起こった時、私は、ハローワークくしろで個別相談のキャリアコンサルタントとして勤務していました。主に子育て中の女性との相談が中心の窓口だったのですが、一般の窓口より、より個人との心的距離が近い状態での相談になります。その日の翌週から相談に来る方たちの目がいつも以上に沈んでいたり、頭の位置がうなだれることによって下がっていたりと、元気のなさが目に見えて感じられるようになってきてしまっているのです。小さな子供を連れている方達がこんな表情をしていたら、子どもにも影響が出てきてしまうと、何とも言えない感情が芽生えました。その頃は、もともと人余りの時代で、有効求人倍率も一時は0.3くらいにも下がってしまっていた時期で、それだけでも小さな子どもがいる家庭の主婦にとっては求職活動が難しい頃でした。お一人お一人とお話ししていると、この方ならきっと会社内で良い働きができるだろうとか、素晴らしいスキルを持っている方だとか、磨けば光るタイプだとか、いろいろと感じる方がたくさんいるのに、企業はそれを見ようともせず、年齢や経歴のブランクなど書類選考の段階でバツ印をつけてしまう・・・。

 釧路で生まれ釧路で生活をして多分これからもずっと釧路に住んでいるだろう私にとって、こんな素晴らしい女性達がくすぶっているような状態がもったいなくてしかたなかった。個人情報の問題もあり、行政の窓口で個々に面談している人たちをその場で繋げることは難しかったので、だったら市民団体を立ち上げてそこでみんなで繋がって、お互いを認め合い、刺激し合い、何かを創り上げられるようなコミュニティを作ってみたらどうだろう?なんて、きわめて安直な考えで『原石』たちにお声掛けをさせてもらいました。

 みんなで考えた団体の名前が「もっと、おおきく、かっこよく、ありたい」「Motto Ookiku Kakkoyoku Aritai」のMOKA。

 最初は、釧路市内の会館の会議室を借りて、何をやったらいいだろう?の話し合いから始まりました。そうやって会の目的や規定や活動内容を相談しているうちに、会場使用料がそれぞれのお財布から出て行くことにそれぞれが苦しさを感じ始めました。そして活動費捻出のためにフリーマーケットに出店したりしているうちに、あの『魚網たおる』の製造に行きつきました。

 魚網たおるの原材料を取引できるようになったのも、現在法人のMOKA.でも引き続き使用しているロゴやFacebookのイメージを作ってくれたのも、いろいろな関係団体に繋げてくれたのも、みんな当時会員として一緒に活動してくれたメンバー達です。


【2013年6月~2014年3月】内職創出と魚網たおる販売

 当時のメンバーが市役所に話を持って行ってくれて、「内職に関するアンケートと魚網たおるの販売実証実験」の名目で従業員を一人雇用できる助成金事業を受託することができました。これで本格的に『魚網たおる』の市場販売が始まります。代表の私も他のメンバーもそれぞれに別の仕事を持っている中で、団体の事務所(釧路市春採)を構え、人を雇用して事業を行うことは、今思えばとても大胆な行動でした。それでもお母さんのような存在の方の支えもあり、なんとか1年をクリア。ただその助成金は年度内限りのもので、それの代わるものとして、現在の『MOKA's SCHOOL』に繋がる「女性求職者支援事業」を受託させていただける形となりました。


【2014年5月~2016年3月】女性求職者支援講座開始

 他の企業で働いていた当時の事務局長が仕事を辞めて団体の仕事をやってくれることになりました。この年から団体は、釧路市事業の女性求職者支援講座と魚網たおるの製造販売(内職創出含)の2本柱での運営になります。同じ団体事務所に通いながら、賃金が発生する人と身銭を切って活動する人が一緒に同じ方向に向かって進むのは容易ではありません。夜遅くまでに及ぶ会合も毎月何回となくありました。女性求職者支援の事業の2年目は、事務局を新人が務めることになりましたが、会員メンバーみんなの協力があって、なんとか無事に1年を終えることができました。この間に、釧路アミティ様や釧路信用金庫様、そして北海道知事からも活動に対する表彰をいただいております。


【2016年4月~2017年3月】迷走と決断の1年

 ハローワークでのどうしても抜けられない仕事と釧路市事業のプロポーザル審査会の日時がまるかぶりしてしまったこともあり、2016年の女性求職者支援事業の受託は叶いませんでした。魚網たおるの売り上げも(一度購入したら長く愛用していただけることがアダとなり)人を雇用し続けるだけの体力を継続できない状態になりました。その頃には団体設立当初のメンバーはほぼ一緒には活動しておらず、それまでに活動して残してあった貯蓄から賃金を支払ったことすらも許可を得ずして今に至る始末。キャリアコンサルティングを武器に私の高校時代の同窓生にお願いして社員研修をさせてもらったり、ハローワークで得た収入を団体の会計に入れたりと、右往左往しながらなんとか雇用は続けていたのですが、頭の中はお金をどうしよう?会の運営をどうしよう?と悩みがいっぱい。そのような悩みもみんなで解決しようと集まった団体のはずなのに自分は何をやってるんだろう!ともがいてばかりの1年でした。これではダメだ!と一念発起し、ハローワークを辞めて団体を内包した法人を設立する決断をしました。事実上活動を休止しているような団体でしたが、それでもメンバーに一言も相談なしに法人化を決意してしまった反省が残っています。


【2017年3月~現在】株式会社MOKA.設立と団体をなくしたくない想い

 悩みに悩んだ1年と自分の年齢とそして残りの人生をかけてやりたいことへの想いが、会社設立をいう行為に結びつきました。

 団体活動を続けていてやはり難しいと感じるのは、そこに関わる人達に収入のあるなしが発生すること。これは綺麗ごとでは片付けられない事実です。

 すっきりと割り切れるように株式会社にしたいと思いました。会社は収益を得ることがまず第1の目的。そこの従業員には相当の賃金が発生する。ただ、釧路モカ女性プロジェクトの想いーー『みんなが自分らしく輝けるよう繋がれる場所』は、どうしてもなくしたくなかった。そこはお金はあまり関係なくて、『居場所』なんです。だから、釧路モカ女性プロジェクトを会社の中に内包することにしました。団体にはしっかりとした定款もあるし、本来なら会費徴収の内規もありますが、そこにすら今はこだわっていなく、実はよく聞かれることとして「会員は何人ですか?」には答えることができません。なぜなら、MOKA.になんらかの形で関わってくれた人たちはみんなモカメン(釧路モカ女性プロジェクトのメンバー)なのです。MOKA'sSCHOOL卒業生しかり、魚網たおるの内職をしてくれているワーカーさんしかり、キャリコンで事務所を訪れてくれた人しかり・・・。釧路モカ女性プロジェクトがハブとなって、それぞれが繋がりたい人と勝手に繋がってくれて、そのコミュニティが更に広がって・・・というのが、団体創立当初からの目標でした。そしてその目標の先の目的は、『もっと大きくかっこよくありたい!』と想い、『自分らしく』自分の人生を生きる女性が増えること。


 本日、釧路モカ女性プロジェクトは10周年を迎えることができました。団体に関わって来てくれたすべての人達の繋がりのおかげです。団体名には「女性」と入っていますが、女性も男性も関係ないんです。私たち、せっかく今この時代を共に生きているのだから、繋がることで強くなれるのであれば、心の手を取り合って(本当の手を繋ぐのはコロナが落ち着いてからね)楽しく前を向きましょう!

 それがこれからまた10年続く釧路モカ女性プロジェクトの宣言と致します!